非政府組織

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非政府組織ひせいふそしき: nongovernmental organization)は、民間人や民間団体のつくる機構・組織であり、国内・国際の両方がある。日本語では、NGO(エヌジーオー)という言葉が、国際的なものとして使われており、「国際協力に携わる組織」や「政府を補完する側面」というような場合に使用される。ただし、英語ではNGOは可算名詞としてみなされているため、原則として「NGOs」と記される。

1815年ウィーン会議で設立されたライン川航行中央委員会[1] は中央ヨーロッパ諸国に限定されるものであったが、1813年健康理事会[2] は欧州諸国に加えオスマン帝国も含むものだった。自国民の安全や利益だけでなく、諸国の共同の福祉を促進し、国際協調というものが、自国にも諸国にも得るものが多いということを人々に認識させてきたのである。

19世紀後半におよそ10のNGOが設立され始めた。NGO自体は国家に対峙して設立されたものではなく、政府と協力して活動を展開した。

例としては国際赤十字であるが、当初はNGOではなく政府間組織であった。スイスアンリ・デュナンサルディニアフランスオーストリアと闘ったソルフェリーノでの戦闘(1859年)を目の当たりにして著述した『ソルフェリーノでの思い出』(1862年)であり、これがスイス政府を動かし、戦傷者の処遇改善へ向けて国際会議を組織し、1864年には赤十字がジュネーヴで民間主導で組織された。

この会議に出席した諸政府は赤十字団体の活動を認める条約に署名したのである。衛生健康の分野においても汎米衛生事務局[3]結核撲滅キャンペーン中央局[4]1902年に設立された。

第一次世界大戦後、死傷者数の多さなどの反省から組織化という考え方が戦後国際問題に重要な問題とみなされ、国際連盟が制度として成立される。NGOの数は増え続け1929年には478に上る総数の国際組織が上げられたが、そのうち90%は民間機関であった。

非営利組織で、慣習的に、国際的に活動するものを非政府組織・(国際)NGOと呼ぶ場合が多い。国際NGOの数は17,000以上に上るといわれ、特に緊急時の援助活動や地域住民の福祉の向上を目的とするものは民間援助団体ともよばれる。赤十字社連盟、国際商工会議所(ICC[5])、世界労連(WFTU[6])、国際自由労連(ICFTU[7])、よく耳にするYMCAや、YWCAなどがある。いずれも本部事務所を持ち、世界に支部をもち、活動国も多くの国々である。ブリュッセルの国際協会連合[8] の国際団体名鑑の7つの基準によれば、

国際NGOは国連憲章第71条[9] の精神から国連憲章における協議資格を持つNGO国連憲章における協議資格を持たないNGOがある。国連は経済社会理事会 (ECOSOC)[10] を通して民間団体と協力関係をもつこと。NGOと取り決めを行い、その国の政府と協議のうえ、国内NGOとの間で行うことができる。

国際連合憲章においては、非政府組織(英語ではNGO)は、国際連合と連携を行う民間組織と定義されている(国際連合憲章の当時の日本政府訳(昭和31年条約第26号)では、単に「民間団体」と訳されている)。そのためこの文脈での非政府組織は、国際連合と協力関係にある国際組織と同義と考えられる。実際に、国際連合が連携・協議する国際的な非政府組織は、国際連合NGOとも呼ばれ、国際政治を動かすほどの影響力を持つ。国連はECOSOCを通して民間団体と協力関係を持ち、協議によりNGOとの間に取り決めを行うことがある。国連で実際上除外されているのは、営利団体政党基金の類である。

決議はNGOの協議上の地位を3つに分類している。

決議は協議上の地位の停止および撤回を定めている。とくに以下の場合3年間地位停止ないし撤回が決定される。

全体主義的な人権抑圧主義にある国が戦争を起こしやすいとの見解から、第二次大戦後は人権擁護を基本精神の一部にすることを連合国側は構想していた。人権基本的自由を尊重する考え方は国連主要目的の柱の一つになった。(国連憲章1条3項)[13] 人権NGOの舞台は、人権委員会である。委員会は43名の政府代表で構成され、3年を任期とする。日本は1982年以来今日までメンバーである[14]。人権委員会は2006年に人権理事会へと改組した。

現在は国連憲章の枠を超えて ECOSOC 以外の多くの国連諸機関と広範囲で関係するようになってきている。

国連憲章の規定にカバーされないNGOの協力に総会関連機関がある。CONGO[15] に代表されるNGOの最大の不満だからである。ナミビア理事会非植民地化委員会反アパルトヘイト特別委員会パレスチナの権利委員会などは通常総会は出席出できるのみの権利しかないことや、すべての下部機関全体について ECOSOC における協議の権利を確保されていないことであり、各機関によって認められた権利は一様でなく、概して消極的なものしか与えられないことなどである。パレスチナについては1983年にICCP[16] が設置された。また、開発のための科学技術委員会(CSTD) [17] も存在する。大学、研究所、多国籍企業らの広い意味でのNGOとの協力を不可欠と考えて設置された。国際連合環境計画 (UNEP)[18] があり、関連したもので国際湖沼環境委員会(ILEC)[19] がある。国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)[20] もそうである。

国際連合児童基金(ユニセフ)執行理事会の手続き規則は、オブザーバーとして次のものを挙げる。

自由権規約人権委員会ECOSOC 下部機関である人権委員会におけるNGOとの協議とは別個系列で発達した人権通報[21] というものがある。国内の人権侵害を訴える通報には、内政不干渉の立場を国連はとってきたが、1968年の国際人権会議(テヘラン)を経て人権擁護に深く踏み込み、通報の要件を改定した。「一五〇三手続」[22] という。これは次のように二分される。

日本は規約には加入したが、議定書には加入していない。

1970年に決議一五〇三 (XLVIII) が採択されたことに鑑みて1974年以降通報の審議を中断していたが、1982年通報のための特別委員会が設置された。公権力により拘禁中の女性に対する暴力強姦性的虐待妊婦への手荒い扱いなどがみられ、ECOSOCは関係加盟国に対してこのような暴力をなくすよう早急に適切な措置をするよう求めた。

安保理事会軍縮会議も国連憲章の枠を超えた内容になっている。ジンバブエとして1980年に独立する以前の南ローデシア白人少数政権に対する経済制裁に関してである。宗主国のイギリス、欧米諸国らとの経済的結びつきから制裁破りの経済活動が横行した。委員会は制裁破りの活動に関して正確な情報を寄せるよう勧告し、理事会で承認された。1979年9月独立へ向けて制裁会議を開くとの合意が成立し、理事会は制裁解除を決定し1980年4月南ローデシアはジンバブエとして独立を達成した。

上述のとおり、非政府組織は国際的に活動する団体を特に指すことが多い。これは非政府組織と同様に国際的に活動する各国政府や国際機関との対比による。

同一の団体・組織であっても、所属する国内の法人格としてはNPO[23]、国際的な通称としてはNGO(非政府組織)と標榜することが多い。そのため、国際的には非政府組織として認知され、かつ国内法上は非営利団体や特定非営利活動法人として扱われる。 非政府組織の多くは、所属国内の法律において法人種を非営利団体(特定非営利活動法人)、財団としている場合が多いが、法人格として会社であっても非政府組織となり得る。

[24]