夷隅郡

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夷隅郡(いすみぐん)は、千葉県上総国)の伊甚屯倉の分割によって成立した[注 1]。古くは古事記に「伊自牟」(いじむ)[1]日本書紀に「伊甚」(いじみ)[2]として登場する地名であり、郡名としては「夷灊」など様々な当て字が用いられてきたが、江戸時代初期に「夷隅」の字が当てられ、定着したとされている。現在は以下の隣接していない2町よりなる。

人口15,150人、面積154.73km²、人口密度97.9人/km²。(2022年11月1日、推計人口

もと伊甚国造の領域であったが、『日本書紀』 卷18 安閑天皇元年(534年)4月1日条によると、国造稚子が贖罪のため春日皇后伊甚屯倉を献上したという。また、文末には「今分ちて郡とし」とあるので、伊甚屯倉は広大な屯倉であり、その領域は当郡のみならず北側の埴生郡長柄郡にもおよんでいたと推測され、その分割によって、当郡・埴生郡・長柄郡が成立したとみられている[3]

後の、『日本三代実録貞観9年(867年)4月20日条に、当郡の人春日部直黒主売の名がみえるので、春日皇后にかかわる春日部という名代が設置されており、春日皇后のため伊甚屯倉が設けられたのは史実と考えられている[4]

和名類聚抄に5郷および余戸郷が記されているが、いずれも訓がない。比定は日本歴史地名大系による[5]

本郡は、1889年の明治の大合併直前には165町村を数えたが、大合併により23町村に再編された。郡役所は大多喜町に置かれた(郡役所跡地には現在、千葉県夷隅合同庁舎が建っている。)。戦後、昭和の大合併と勝浦市の市制施行を経て、1961年8月1日太東町長者町が合併して岬町が発足したことにより、長らく5町による体制となった。その後、平成の大合併では、紆余曲折を経て2005年12月5日夷隅町大原町、岬町が合併し、いすみ市が発足したことにより、現在の2町の体制となった。

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町のほか、概ね下記の区域にあたる。

但し、現在の勝浦市南西部(旧・興津町に相当する区域)は律令制の頃には安房国長狭郡に属していた。

平成の大合併では、勝浦市を含む夷隅郡市1市5町による大合併を模索し、この枠組みによる新市「外房市」が誕生する予定であった。しかし、合併日も既に決まっていた中、勝浦市は市役所の位置や新市名などに反発。市議会は合併協議会離脱の決議を可決させるなどし、その結果、勝浦市が合併協議から離脱して破綻した。

その後、勝浦市を除く郡5町により再び合併協議が行われた。しかし、大多喜町が町議会で合併離脱の決議が可決されたことなどにより、結局、大多喜町が離脱、再び不成功に終わった。

さらにその後、勝浦市は御宿町と大多喜町に合併を打診するも、両町とも1市5町による合併を希望していたため、破談に終わった。一方で大原町は夷隅町と岬町に合併を打診し、任意合併協議会が設置された。このとき大原町は、大多喜町と御宿町にも合併の呼びかけをしたが、両町とも合併日までの時間が短いとして参加を見送った。

かくして、大原町・夷隅町・岬町の3町のみで新設合併・市制施行を行うこととなり、2005年12月5日に「いすみ市」が誕生、郡より離脱した。

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千葉県夷隅郡の位置(1.大多喜町 2.御宿町 水色:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)
1.上野村 2.清海村 3.勝浦村 4.豊浜村 5.総野村 6.総元村 7.西畑村 8.大多喜町 9.上瀑村 10.瑞沢村 11.千町村 12.古沢村 13.老川村 14.中川村 15.東村 16.布施村 17.御宿村 18.浪花村 19.国吉村 20.中魚落村 21.東海村 22.旭町 23.中根村(紫:いすみ市 桃:勝浦市 赤:大多喜町 橙:御宿町 緑:長生郡睦沢町)