ロシア臨時政府

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ロシア臨時政府(ロシアりんじせいふ、ロシア語: Временное правительство России, tr. Vremennoye pravitel'stvo Rossii)は、 1917年二月革命後にロシアで成立した暫定政権である。

1917年3月に勃発したロシア革命二月革命)により、ロシア皇帝ニコライ2世は退位し、ロシア帝国は打倒され、代わって新政府が樹立された[1]

臨時政府下では、ペトログラード労兵ソビエトが軍の指揮権を掌握していた[2]。そして、第一次世界大戦の継続を目指す第一次臨時政府と、講和を求めるソビエトのあいだで対立が生じ、第一次臨時政府は崩壊した[2]

同年5月5日、自由主義者に加えて、社会革命党(エスエル)とメンシェビキを中心とする社会主義者たちが参加する第一次連立政府が成立した[3]。この政府もウクライナ自治問題をめぐって立憲民主党(カデット)の閣僚が辞任して崩壊し、社会主義者であるケレンスキーを首班とする第二次連立政府が成立した[4]。一時的にソビエトの力は弱まったものの、「コルニーロフ反乱(ロシア語版、英語版)」が起きた際には、ケレンスキーはソビエトを頼らざるを得なかった[4]。同年9月1日(グレゴリオ暦9月14日)には国号ロシア共和国(en)(Российская республика)とすることを発表したが、元老院はこれを拒否し、法令としての告示は行われなかった[5]

1917年10月25日(グレゴリオ暦11月7日)の十月革命により、ボリシェビキの主導するソビエトによって臨時政府は解体された[6]。脱出・逃亡したアレクサンドル・ケレンスキーを除く第三次臨時政府の閣僚たちのほとんどは逮捕・監禁されたが、その後国外追放され、もしくは脱獄・亡命した[注釈 1]。リヴォフ以下その他の閣僚経験者も大多数が亡命した。

出典:[7]

四月危機後の臨時政府の閣僚は以下の通り:

出典:[8]

ケレンスキーの実権掌握後の閣僚は以下の通り:

出典:[1]

第三次臨時政府の閣僚は以下の通り:

出典:[1]

ロシア臨時政府による会議