サウル

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サウル(Saul、ヘブライ語: שָׁאוּל‎、Šāʾūl)は、旧約聖書サムエル記』に登場する、紀元前10世紀頃のイスラエル王国の最初の王。

サムエルが士師としてイスラエルを指導していた頃、民の中から王を求める声が強くなった。サムエルは王政のデメリットを以下のように説明するが、民が聞き入れなかったので神の指示によって王になるべき男を捜す[1]

サウルはベニヤミン族出身のキシの息子で、背が高く美しい若者であった。ロバを探しに出てサムエルに会い、サムエルは彼が神が選んだ人であることを悟って油を注ぐ[2]

最初の戦闘でサウルはアンモン人に攻め囲まれたヤベシ・ギレアデを救い、民に王として歓迎される[3]。その後もサウルは息子ヨナタンや家臣たちと共にイスラエルを率いて、ペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦った。しかしアマレク人との戦いで「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかったため、神の心は彼から離れた[4]。神の声を伝えていたサムエルもこれ以降サウルに会うことはなかった。

サムエルはサウルをあきらめ、神の言葉によってひそかにエッサイの子ダビデに油を注いだ。ダビデはペリシテの勇者ゴリアテを討って有名になり、竪琴の名手としてサウルに仕えたが、サウルはダビデの人気をねたんで命を狙った[5]。ダビデは逃れ、何度もサウルを殺害するチャンスを得たが、「神の選んだ人に手をかけられない」といってサウルに手を触れなかった[6][7]

ダビデの立琴によってサウルから悪霊が出て行った、第一サムエル16章23節の聖書記事は初期の音楽療法とみなされている。

サムエルの死後にペリシテ軍がシュネムに陣を取った際、サウルは恐れて主に伺いをたてるが答えを得られず、自ら断ち滅ぼしたはずの口寄せに頼った。サムエルが現れるが「主はイスラエルの軍勢をペリシテびとの手に渡される」と言い渡される[8]

サウルはペリシテ軍との戦いの中で、ギルボア山で息子たちと共に追い詰められ、剣の上に身を投げて自害した[9]。また「重傷だったサウルに頼まれて家臣がとどめをさした」との異なる伝承もあるが[10]、そのようにダビデに話した若者はダビデによって処刑された[11]

サウルとヨナタンの遺体はペリシテ人に奪われ、を剥ぎ取られた上でベテ・シャン城壁に釘付けにされ晒し者にされていた。それを聞いたヤベシ・ギレアデの勇士たちは夜に取り返しに行き、取り返した後は火葬遺骨はヤベシのギョリュウの木の下に埋葬して一週間断食した[12][13]。後に次の王となったダビデによって、ベニヤミンの地ゼラにあるその父キシの墓に移送され葬られた[14][15]

サウル王の四男のイシュ・ボシェテがただ一人生き残り、将軍アブネルに支持されて、マハナイムでサウル王朝第2代目の王になった。イシュ・ボシェテが暗殺されるとサウル王朝は滅亡して、ダビデ王朝が始まった[16]

サウルの孫に当たるヨナタンの足萎えの子メピボセテは、その父ヨナタンゆえにダビデより施しを受け、常にダビデと共に食事をするよう食卓に招かれた[17]

サウルの家族については『サムエル記』上14:49-51[注 1]、サムエル記下21:7-14[注 2]、歴代誌上8:33-35[注 3]参照。

聖書中の記述を元にするとサウルの身辺は概ね以下のようになる[注 6][注 7]

ダビデに槍を振り上げるサウル
サルヴァトル・ローザエン・ドルの口寄せの家でサウルに現れるサムエルの霊』1668年 ルーブル美術館
ピーテル・ブリューゲルサウルの自害 (英語版)』1562年 美術史美術館